誤解を恐れずに言えば、感謝は心地よさを感じるための手段のひとつだと言えます。
手段を目的化するのは、あまりよい傾向とはいえないと感じます。
よりよい手法があれば、感謝に拘る必要はありません。
どうにも感謝できない時は、無理をする必要はありません。
今より少しでも心地よさを感じられるだけでも、大きな前進だと賢人たちは教えてくれます。感謝の対象を見つけることよりも、少しでもほっとできる何かを探す方が負担が少ないなら、迷わず後者を選んでよいのだと思います。
文明社会に生きる者として、他者の権利を侵害しない限り、我々はかなり広い範囲で心地よさを求めることができます(もっとも、このことも感謝すべき事柄のような気がしますが…)。
注意すべきは、心地よさと表裏一体でネガティブな思考をしない――。
この1点に尽きます。
感謝にはそうしたリスクが発生しにくいのでお勧めだということです。
心地よいと感じる「なにか」を見つけ、その心地よさに焦点を合わせ続けることができれば、引き寄せ生活としては十分だと、賢人たちも説いています。
厳しい状況下で心地よさを探すことについては、別の機会に焦点を当てさせていただくとして、感謝についても無理は禁物、ということを、ここでは述べておきたいと思います。
無理=抵抗は、ここでも当てはまると思っています。
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